契約の虹

report by 小谷雅人 CS湘南

 

ー昨年の初夏の頃、アメリカの非営利団体「サマリタンパース」(Samaritans Purse)は被災した家屋の無償の修繕プログラムを開始した。アメリカはもとよりドイツ、ブラジル、シンガポール、韓国、スイス、オーストラリア、カナダ等、多くの国からのこの修繕プログラムに参加し、われわれ日本人もスキルのある少数のクリスチャン大工がこのプログラムに参加させて戴き、被災地の家屋修繕に勤しんだのである。 

真夏の暑い日に、自然に囲まれた田舎の家屋の修繕作業をしていると、この家の窓越しに広がる田園と一面に咲くヒマワリに囲まれ、どこかノスタルジックに懐かしい気持ちを掻き立てられる。ふと、耳を澄ませば、けたたましく鳴くあぶら蝉や、ミンミン蝉達が大合唱を奏でる。稼ぎ先から帰省した家主の娘さんが幼い子供の手を引いてムギワラ帽子を被り、首にタオルを羽織り、汗を拭きながら差し入れをしてくれる。修繕中の家屋のなかに横たわる膝丈程の高さにまで積み上げた材木に皆で腰を下ろし、しばし作業で拭いた汗を拭い、差し入れの冷たい飲み物でのどを潤す。無邪気にはしゃぎ、満面の笑顔の幼い女の子達が疲れを癒してくれる。 

何故か切なさが込み上げて胸を熱くすれば、自ずと目頭までが熱くなるのだ。大合唱の蝉の音に混ざって、神が「愛を持って尽くせ」と語る声が聞こえてくる。「ツクツクホウシ ツクツクホウシ」。大自然を創造された創造主が日本人に授けた日本のことば、ことばはイエス・キリストそのもので日本人にも神の愛は無償で注がれて止まないのである。ツクツクホウシの音が何故か、尽くせ尽くせ、奉仕奉仕と背中を押す。 

イエス・キリストは自ら最後の晩餐の前に弟子の足を洗って模範を示された。「主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」と。神の示すリーダーシップを教えられたように、この津波によって傷心した人達を、神の愛で満たす為に、尽くして、尽くして、奉仕するのだと神は遣わして下さったのである。 

そんな働きにも終わりがあり、2012年8月31日をもって、ひとつの働きに終止符が打たれた。東日本大震災に対して、アメリカの非営利団体が、被災地へ降りたち、イエス・キリストと共に失われた魂の救済が行われたのである。延べ7千人を超えるボランティアが世界各国より集い、家屋の修繕活動を通じ、神の愛を伝えて歩いた。その修繕活動も終わりの日を迎えた。東北地方の夏は足早に過ぎ去り、コスモスが咲き、いつの間にか冬の到来を迎える頃に、やり残した使命を果たすべく再度被災地に仕える。夏までのミッションとはうって変わり、被災して礎だけが残された、海に程近い教会の跡地での仕事であった。津波によって被災した教会の跡地に設置されたプレハブの施設に、やり残した使命があった。 

ハガイ書にこう書き記された箇所が在る。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが

飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ物がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んできて、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を表そう。主は仰せられる。あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたは家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。-万軍の主の御告げ- それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたはみな、自分の家のために走り回っていたからだ」(ハガイ書1章4節~9節)。 

まさに廃墟と化した神の宮、すなわち被災し跡形も無くなった教会。そのところには被災の後に、瓦礫の材木の丸太で組んだ十字架が組み建てられ、残されたコンクリートの礎の側壁に「わが家は祈りの家ととなえられるべし マタイ伝21章13節」のみことばがあった。修繕プログラムの最中、常に事ある毎に瓦礫の廃材で組まれた十字架の下へ行っては礎に跪き、祈った。十字架の下で願い祈った祈りは聞き届けられ、離れて暮らす、愛する妻と娘は守られ、更に数え切れぬ程の多くの恵みと豊かな祝福を受けた。しかし、夏に修繕プログラムを終えた頃、自宅へ帰り、もう被災地には戻るまいと心に決めていた。このハガイ書のみことばを授けた創造主は廃墟の宮をないがしろにし、己のために走り回る者を戒め、再度神の地へと召されたのである。修繕プログラムを共に施した同士と共に、廃墟となった「祈りの家」を施し、11月の頭を迎える頃、その「祈りの家」はまたたく竣工を迎える事ができたのである。 

改めて、帰宅の準備をしながら、しばし、他の団体が行っているミッションのサポートをしていたある日の昼過ぎ、神は神と人間との間に立てられたご自身の契約を大きく現わされた。空一面に大きくかかる七色に輝く曲線は、気仙沼全体を覆いかぶされた。虹である。「わたしは雲の中に、虹を立てる。それはわたしと地の間の契約のしるしとなる」(創世記9章13節) 

被災で多くの人が亡くなってしまった。また依然行方の不明な方々も数千人いる。神はこの震災を通じ、不変的な愛を、間違いなく伝えているのである。そして神は魂の救済に集う者達の願いを必ず聞きとめられ、奇跡を起こされ、神が生ける神であることを現わされたのである。神の愛は不変であり、津波ですら、その愛を消すことは出来ない。臨在である神、生ける神。われわれ人間は神の御手にある。